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zoom RSS 9月の京都らくらくウォーキング100選

<<   作成日時 : 2015/09/20 19:34   >>

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9月の京都らくらくウォーキング100選です。

8月はお休みでした、8月は暑い日が続きお休みで良かったです。

其れにしても9月10日の関東、東北の豪雨で堤防決壊で家屋流され行方不明等が出て、

テレビ釘付けで報道見て居ました。

今日(20日)に常総市の排水作業がほぼ終わり、

自衛隊の解団式とニュースで言って居ましたので少し皆さん落ち着いてきたようですと。

今回の堤防決壊で被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。


今回は足利氏の菩提寺・等持院・不思議不動です。

コースはJR花園駅集合しスタート〜今宮神社〜住吉大伴神社〜竜安寺〜等持院〜六請神社〜小

松原公園(食事休憩)〜不思議不動で見学後解散です。

今日はウォーク日和で参加者も57名でした。

一部参考資料にて

JR花園駅です、今日のコースの説明中です。
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今宮神社(いまみやじんじゃ)です。
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平安期以前から疫病鎮めに疫神を祀った社があったといわれる。994年(正暦5)都の悪疫退散を祈り、御輿を造営し紫野御霊会を営んだのが今宮神社の起りである。現在の社殿は1902年(明治35)の再建。「阿呆賢さん」と呼ばれる神占石は叩くと怒るともいわれ、撫でて軽くなれば願いが叶うとされる。四面仏石(現在は京都国立博物館に寄託)などが有名。4月第2日曜のやすらい祭は京の三大奇祭の一つ。徳川五代将軍網吉の生母 桂昌院の氏神社として、良縁開運「玉の輿」のご利益を願う人で賑う。
建立:創建 994(正暦5)年(平安時代)、現社殿 1902(明治35)年
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「玉の輿」という言葉は、
いうまでもなく、女性が裕福な男性と結婚して自らも裕福な立場になることですが、
では、なぜそのようなことを「玉の輿」って言うのか知っていますか??
今宮神社と「玉の輿」の関係は、その「玉の輿」という言葉の語源にあるそうです。

時は江戸時代、この今宮神社が氏神となる西陣の町の八百屋に
桂昌院という、その名を「お玉」と呼ばれている娘がいました。
そんな普通の家庭育ちの娘さんが、徳川3代将軍家光に見初められ、
側室となり子供を授かります。
その子供は後の5代将軍となる綱吉で、お玉は将軍の生母として、
大奥で従一位の高位にまで至ったことが、「玉の輿」の起源だと云われています。

次の住吉大伴神社に行く途中です、彼岸花も所々に咲いて居ました。
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住吉大伴神社(すみよしおおともしじんじゃ)です。
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住吉大伴神社の説明中です。
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創建の詳細は不明。
 平安時代、823年、第53代・淳和天皇の即位に伴い、天皇の諱(いみな)が大伴親王であったことから、避諱(ひき)のため大伴氏は伴氏と改称し、以後、伴氏(とものうじ)神社と称された。
 834年、834年以前とも、葛野郡上林郷に、伴氏の氏神二座を祀り建立されたとみられる。(『続日本後紀』)
 866年、伴善男は応天門の変により失脚し、以後、伴氏の勢力も衰微、次第に祭祀も途絶、廃絶した。
 平安時代末期、この地に、藤原氏が勢力を持つ。左大臣・藤原(徳大寺)実能(1096-1157)により山荘「徳大寺殿」が営まれ、堂上(どうじょう)歌人が集った。徳大寺家により、和歌の神・住吉、玉津島の二座が勧請され、住吉神社(住吉社)と改称された。(『山城志』)。なお、古代より住吉神と大伴氏との関わりは深かったという。
 江戸時代、伴氏神社は、龍安寺村にあり、「日吉」「今日吉」と呼ばれていた。(『山城志』『神名帳考証』)
 近代、1942年、天忍日命、道臣命が合祀され、住吉大伴神社と改称されている。

竜安寺(りょうあんじ)ですが此処は素通りでした。
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 この地は円融天皇の勅願寺である円融寺があったところとされている。平安時代末期に藤原実能がここに山荘を造り、敷地内に寺を建て徳大寺と称した。そのため、以後、徳大寺を姓としたという。
 宝徳2年(1450年)に細川勝元が徳大寺家の山荘を譲り受け、妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いて建立したといわれるのが現在の龍安寺である。
 寺は応仁の乱で焼失したようであるが、直ちに再建、整備に努め、江戸時代には塔頭は21もあった大寺だったという。その後、寛政9年(1797年)の火災により、多くの建物を失ったといわれている。現在、塔頭の数は多くはなく、江戸時代に見られたといわれるような大寺の感じはない。
「龍安寺の石庭」有名です。幅 25 メートル、奥行 10 メートルほどの空間に白砂を敷き詰め、東から5個、2個、3個、2個、3個の合わせて15の大小の石を配置する。これらの石は3種類に大別できる。

等持院(とうじいん)です。
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説明中ですが中に拝観せずでした。
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六請神社(ろくしょうじんじゃ)です。
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説明中です。
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  もとは衣笠山に葬られた人々の霊を祀る社であったと考えられ、「山城名勝志」も「衣笠岳御霊」として、「按衣笠山麓六所明神坐」と記す。桓武天皇の延暦年中(782〜)の創建とされ、足利義満公が上記六座の神を勧請したと伝わる。15世紀央には神前で猿楽が行われている。近世には地域の産土神となっていた。江戸時代には地元では春日明神と呼んでいたようだ。真如堂・等持院の鎮守社をしていたようだ。

力石大明神です。
大きな石が祀られています。
この石は古来より祈願して持ち上げられれば、あらゆる力を授かると伝えられています。今では神社で小石を授かり氏名・性別・年齢と願い事を書いて奉納すると、石を持ち上げたのと同じご利益があるそうです。
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小松原公園で食事休憩です。
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ギンナンが一杯成って居ましたが、今年は小さいと言って居られました。
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次の不思議不動に行く途中です
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不思議不動(ふしぎふどう)です。
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正式には「真言宗・大北山大宝寺不思議不動院」という。初代貫主の酒井圓心師が不動明王の夢を見て、「難渋苦労している人々を救うように」とのお告げを得て開いた。金閣寺の西一帯から原谷、蓮華谷へと続く広大なお狐山の山域一帯を霊地とする真言宗根本道場である。
境内には本堂を中心に、かぼちゃ大師堂、お狐大明神、子授け地蔵など多くの祠堂が建ち、“不思議之谷の不思議さん”と呼び親しまれている。
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今回訪れた「不思議不動院」は、五山の送り火・左大文字(大北山)の麓にあり、地元の方から「ふしぎさん」の愛称で親しまれている寺院です。
ここがなぜ、不思議不動院と名付けられているのかというと…有り難いお話に由来されているのだとか。
何でも悪い場所有れば撫でれば治るとかです。

此処で見学終わって解散しました、わら天神バス停まで行くと連なって行きますのでここで解散しました。

最後まで見て頂いて有難う御座いました。


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