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zoom RSS 12月の京都らくらくウォーキング100選

<<   作成日時 : 2016/01/19 13:22   >>

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27年最後の京都らくらくウォーキングに行ってきました、快晴の天気で良かったです。

12月20日は男女高校駅伝で最終の行く予定の北野神社御旅所に行けず

途中で解散しました

ウォーキング終わった後に忘年会ですので、

沢山の方々がウォーキング五十名と忘年会の三十四名の参加でした。

今月のコースは市内で洛中の探索で妙覚寺・立本寺コースでした。

コースは地下鉄鞍馬口駅集合し妙覚寺〜称念寺(ネコ寺)〜山名宗全屋敷跡〜京都市考古資料館〜橘児童公

園(食事)〜立本寺〜北野神社御旅所行く途中で(駅伝で通行止めあって)解散しました。

その後忘年会に。




京都地下鉄鞍馬口駅集合しスタートでした。



妙覚寺(みょうかくじ)です。
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一時は本能寺とともに織田信長の上洛時の宿所とされ千利休による茶会も催されていました。妙覚寺大門は、
豊臣秀吉が1590年に建設した聚楽第の裏門を1663年に移建したものと言われています。
西本願寺の飛雲閣、大徳寺の方丈・唐門などとともに数少ない聚楽第の遺構です。
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称念寺(しょうねんじ)(通称ねこ寺)です。
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建立:1606年(江戸時代(慶長11))年
 船岡山の建勲神社から南へ300m、引接寺(千本えんま堂)からは東へ200m、釘抜地蔵からであれば北東へ150m、という住宅街の中にあります。大きな通には面していませんので、地図を片手に探し歩かないと見つけることが難しい、そんなマイナーで小さなお寺です。
江戸時代初期に松平家の帰依を受けて建立されたもの。知恩院を総本山とする浄土宗のお寺で、通称「猫寺」といいます。
松平家と疎遠になり寺院の経営が困難に陥ったとき、和尚が大切に飼っていた猫によって苦境を救われた、という「猫の恩返し」伝説が残されていて、このため称念寺では動物の霊を手厚く供養しています。春と秋には動物合同供養祭も開催されます。
境内にある巨大な「猫松」は和尚が愛猫を偲んで植えたと伝えられ、横に長く延びた姿は猫が伏した様子を表しているのだそうです。

山名宗全屋敷跡(やまなそうぜんやしきあと)です。
工事中か中見えず、説明で終わりました。
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山名宗全は応永11年(1404)に生まれ、名を持豊といい、後に宗全と号したが、赤ら顔であったので赤入道ともいわれた。但馬をはじめ数ヶ国を領し、強大な勢力を持っていた。  
子供がなかった将軍足利義政は、弟義視(よしみ)を後嗣にしようとしたが、その後、義政の夫人富子に義尚(よしひさ)が生まれたため、将軍職をめぐる後継者争いが起こり、応仁の乱に発展した。
 義尚を擁する宗全は、この邸宅を本陣として、室町今出川の花の御所に陣を置く義視方の細川勝元と東西に分かれて11年間に及ぶ戦いを繰り広げた。
このため、京都の町の大半は焦土と化した。  
なれや知る都は野辺の夕雲雀 あがるを見ても落る涙は(飯尾彦六左衛門尉常房) この地にあった山名家代々の邸宅も焼失し、宗全は文明5年(1473)、陣中で没した。  
このあたり一帯を西陣と呼ぶのは、宗全が幕府の西に陣を敷いたことによると。




京都市考古資料館(きょうとしこうこしりょうかん)です。
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京都市の発掘調査で出土した、先土器時代〜江戸時代の考古資料約1000点を展示している資料館。
時代別に写真パネル・遺物の組み合わせを中心に、イラストやレプリカを活用し分かりやすく展示されています。
また、実際に発掘品に手で触れて鑑賞することができるコーナーも。
時期により特別展示・企画展も開催しています。
建物は大正3年(1914)に元は西陣織の作品陳列を行う「西陣織物館」として建てられたもので、市の登録有形文化財。入口横には「西陣」と大きく刻まれた石碑が建っています。

橘児童公園(昼食休憩)です。


立本寺(りゅうほんじ)です。
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 具足山立本寺は日蓮宗・京都八本山の一つ。
京都の法華系本山十六ヶ寺の内、大本山妙顯寺・本山妙覚寺・本山立本寺を三具足山といい、いずれも日蓮聖人の孫弟子にあたる日像上人(龍華樹院)により開山される。
 日蓮聖人ご入滅にさいし京都布教の命を受けた日像上人は、いく度も都を追放されながらも民衆救済の使命に燃え、暦応4(1341)年、四条の櫛笥に妙顯寺を建立するが叡山僧兵によって破却され、明徳4(1393)年、日実上人がその地に再建、「本寺を立てる」という意味を込め「立本寺」と改名した。
 しかし天文5(1536)年、再び僧兵によって破却され、いち早く再興されたものの、文禄3(1594)年、秀吉の命で京極今出川(寺町今出川)に移転。広大な寺域を得たが、宝永5(1708)年の大火で焼失し現在地に移転、今に至る。
島左近の墓
 石田三成に全幅の信頼を受け石田三成の恩に報いた武将 島左近勝猛。
戦国時代の武将で、筒井順慶や石田三成に仕えた人物。
「三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城。」と謳われた程の人物であり、「鬼左近」などと呼ばれていました。
 1600年に起こった関ヶ原の合戦において銃弾を受け、討ち死にしたと言われているが、その遺体や首は見つかっておらず、京都に逃げ延びて「立本寺にて余生を過ごした」という説も伝えられている。
 墓は立本寺墓地に、位牌等は塔頭の教法院にあり、没年は寛永9(1632)年とされています。

北野神社御旅所です。
此処は全国高校駅伝で止められて先に行けず、このまま解散に成りました。
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御旅所の中に小さな神社が祀られています・・これが、御輿岡神社(みこしがおかじんじゃ)で、この土地の守り神として大巳貴命(おおなむちのみこと=大国主命(おくににぬしのみこと))、医薬・病気平癒の神として少彦名命(すくなひこなのみこと)、そして学徳成就の神として菅原大神(菅原道真公・天神)を祀っています。
北野天満宮の創建以前、この御旅所の一帯は、古くは「神楽岡(かぐらおか)」と呼ばれる大きな森林地帯で、鎮守の神として、早くから大巳貴命と少彦名命の二神が祀られていたと伝えられます。
その後、平安時代の天暦元年(947)、北野の地に天満宮が創建され、初めてこの場所に神輿が渡御したことによって御旅所と定められ、地名も「御輿岡(みこしがおか)」と改められたということです。




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