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zoom RSS 3月の京都らくらくウォーキング100選

<<   作成日時 : 2016/03/20 21:51   >>

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3月も中頃過ぎると暖かく成って各地から桜開花宣が届きますが、まだまだ朝晩は冷え込みます。

3月の京都らくらくウォーキングは南山城の古刹 岩船寺・浄瑠璃寺・当尾の石仏巡りでした。

JR京都駅・京都劇場階段下集合しJR京都駅からJR加茂駅まで行き、JR加茂駅からスタートです。

今回のコースは現地のコミュニティバスでJR加茂駅から岩船寺迄乗りました、帰りに山の家からバスで
 
JR加茂駅に着いて解散でした。

今日はいい天気になり参加者も42名で皆さんとワイワイ言いながらの楽しいウォーキングが出来ました。


JR京都駅〜JR奈良線に乗りJR加茂駅スタート〜コミュニティバスで岩船寺〜;

当尾の石仏(三体地蔵・ミクロの辻・わらい仏・カラスの壺二尊・あたご燈籠・藪の中の三尊)〜

公園で昼の食事休憩〜浄瑠璃寺〜「首切り地蔵・大門石仏群・大門仏群・大門仏谷」〜

山の家〜コミュニティバスでJR加茂駅ゴールです。


一部資料参考にて。


JR加茂駅です。
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JR加茂駅からコミュニティバス貸し切りで岩船寺迄行きました。
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岩船寺(がんせんじ)です。
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当寺は平安時代を代表する寺院です。行基開基を伝え、行基が鳴川に建立した阿弥陀堂がそのはじまりとされ、弘安2年に至って鳴川山寺の東禅院潅頂堂を岩船に移し、同8年に供養したといわれていますが定かではありません。
本尊は阿弥陀如来像で10世紀を代表する仏像として知られています。
三重塔(室町時代)は中世後期の代表作ともいわれており、仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで承和年間(834〜847)宝塔を建立したと伝える、現存する塔には室町時代の嘉吉2年(1442)の刻鉻があることから、この時代の建立とされる、重要文化財に指定されています。
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岩船寺は、天平元年(729)に聖武天皇の勅願によって行基が阿弥陀堂を建てたのが始まりと伝わる。その後、弘法大師と智泉大徳(弘法大師の姉の子)によって堂塔伽藍を建立。最盛期には東西16町、南北に16町の広大な境内に39坊が立ち並ぶ大寺だったが、承久の乱(1221)によって大半が焼失した。
しかし、貴重な寺宝は数多く残されている。
まずは本尊の阿弥陀如来坐像(重文)である。
本堂の迯かに阿弥陀如来坐像・四天王立像などありますが撮影禁止ですので撮影は残念です。

予定では当尾の石仏後に食事でしたが、岩船寺の中少し離れた場所で食事出来ましたので此処で食事休憩しました、青空の下で食べる食事は美味しいです、皆さん賑やかな食事でしたネ。
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当尾の石仏に行く途中です。
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当尾の石仏です。
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当尾…「とおの」と読みます。京都府相楽郡加茂町の浄瑠璃寺や岩船寺のある辺りのことです。
この辺りは花崗岩が豊かにあり、山肌に現れています。
そして歴史的には奈良の都に近い聖域、仏たちの浄土という性格があったそうです。
鎌倉時代から室町時代にかけて、都の名匠による磨崖仏が次々刻まれました。
奈良から笠置、そして伊賀伊勢へ向かう古道近くに浄瑠璃寺や岩船寺、その中間にかってさかえた随願寺、それらの子院や塔頭の本尊だった磨崖仏もあるようです。

少し分かりずらいですが。
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浄瑠璃寺から岩船寺まで約1.5Kmの山郷の道。
当尾は古くから奈良仏教の影響を強く受け
、当時は多くの寺院が建立されていた。
しかし、後の兵火などで建物は焼け、
今は浄瑠璃寺、岩船寺、そして石仏だけが残った。
次の三体地蔵等行く途中です。
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三体地蔵、ミロクの辻、わらい仏、カラスの壺二尊、あたご燈籠、藪の中の三尊。
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カラスの壺ですが 「唐臼の壺」真ん中がくぼんだり、穴があいた臼の事を唐臼と言うのだそうです、中国の唐の時代の臼だと書かれていたりしています、「唐臼の壺」(からうすの壺)が 「唐臼の壺」 (からすの壺)になまったのでは?と、 定かではないです。
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ただ単に火の用心を願う当尾の里の村人が夜の街灯として燈明を灯すために建てたものと思われます。
 
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浄瑠璃寺(じょうるりじ)です。
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もくれんの花が一杯咲いて居ました。
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浄瑠璃寺は、薬師仏とそれをまつる三重塔、阿弥陀仏九体とその本堂、
宝池を中心とした庭園が平安時代のまま揃っている唯一の寺です、池は工事中でした。
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 浄瑠璃寺は東の薬師仏をまつる三重塔、中央宝池、西の九体阿弥陀堂から成りたっている。
 寺名は創建時のご本尊、薬師仏の浄土である浄瑠璃世界からつけられた。
 薬師仏は東方浄土の教主で、現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遣送仏である。
 阿弥陀仏は西方未来の理想郷である楽土へ迎えれくれる来迎仏である。
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西方九体阿弥陀如来像等などは撮影禁止なのでパンフレットからお借りしました。
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薬師に遣送されて出発し、この現世へ出て正しい生き方を教えてくれた釈迦仏の教えに従い、煩悩の河を超えて彼岸にある未来をめざし精進する。
そうすれば、やがて阿弥陀仏に迎えられて西方浄土へ至ることができる。
この寺ではまず東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前でふり返って池越しに彼岸の阿弥陀仏に来迎を願うのが本来の礼拝である。 
お薬師様の申し子 浄瑠璃姫 室町時代の中頃「浄瑠璃物語」という御伽草子が書かれていました。
牛若丸が奥州への旅の途中、三河の国の矢矧で長者の美しい一人娘と恋に落ちる物語です。
この娘は薬師如来の申し子と言われ、浄瑠璃という美しいお薬師さまの世界の名をいただいて、浄瑠璃姫といいました。
浄瑠璃寺の薬師如来 浄瑠璃姫の話が生まれるより四百年以上も前、今から九百五十年以前の永承二(1047)年ー藤原時代ーに、清らかな湧水の泉のほとりに一木造の薬師如来像を安置して現在の浄瑠璃寺が出発したのです。
のち、藤原時代末の治承二(1178)年に京都の一条大宮から移されてきた三重の塔の一層目にその薬師如来像はまつられます。それから今日まで池をはさんで西の九体阿弥陀如来像と向き合った形で沢山の人々の祈りを受け続けておられるのです。

首切り地蔵に行く途中に桜か?チラホラと咲いて居ました。
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「首切り地蔵・大門石仏群・大門仏谷」です。
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大門仏谷に行く途中です。
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最後の山の家に行く途中です。
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山の家で最終参加者確認です、コミュ二ティバスでJR加茂駅まで行き解散でした。
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      最後迄一部見ずらい所ありましたが見て頂いて有難う御座いました。


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