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zoom RSS 9月の京都らくらくウォーキング100選

<<   作成日時 : 2016/09/18 19:02   >>

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本当は此のコースは6月でしたが雨で中止に成って9月に成りました。

毎年暑い夏の8月はウォーキングはお休みです。

今日は前夜から雨でした、台風の加減か?集合場所は雨の中でした

途中哲学の道で食事後、雨ですので途中で解散に成りました。

一部の方はお帰りに成って最後の場所加茂波爾神社迄行きました。

明治の遺産・・・哲学の道・北白川疎水のコースです。

コースは平安神宮大鳥居前に集合し〜禅林寺(永観堂)〜熊野若王子神社〜

哲学の道・銀閣寺道(食事休憩)〜白川疎水〜賀茂波爾神社(赤の宮)で解散です。

参加者も雨のウォークで少なかったです37名でした。


一部資料参考にしました。


平安神宮の大鳥居前集合です。
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本日のコース説明です。
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一番目の場所に行く途中です、雨は小降りでした。
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集合場所から雨でしたが禅林寺行く途中に有ります南禅寺の中に水路閣」に行きました。
予定外です。
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南禅寺の中にある水路閣です。
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禅林寺(ぜんりんじ)(通称永観堂)です。
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此処は拝観せず説明中です。
  
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正しくは禅林寺といい浄土宗西山禅林寺派の総本山,
建立:平安初期,頭を左に傾けた「みかえり阿弥陀」「学問所」「紅葉の名所」として知られる永観堂、正式名は禅林寺です。
空海の高弟が現在地一画の山荘を買い取って尊像を安置し真言宗の道場としたのが始まりで、一千百年以上も昔の話です。 その後、時の天皇から「禅林寺」の寺号を賜り、正式な寺院としての歴史がスタート。
853年(仁寿3)空海の弟子真紹が藤原関雄の山荘を譲り受け、尊像を安置、真言宗の道場としたのが始まり。
承暦年間(1077-81)第7世永観が入寺して以来、徐々に浄土念仏道場へと変わっていった。
国宝の絹本着色山越阿弥陀図など多くの寺宝を所蔵。

熊野若王子神社行く途中です、雨も少し小降りになって来ました。
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熊野若王子神社(くまのにゃくおおじじんじゃ)です。
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1160年(永暦元年)後白河法皇が、禅林寺(永観堂)の守護神として熊野権現を勧請し、祈願所とされた正東山若王子の鎮守でしたが、明治の神仏分離によって、ここだけが残りました。
明治の頃には、境内に本宮・新宮・那智・若宮などがあったようですが、たびたびの荒廃により、現在は一社相殿になっています。
哲学の道の終点・若王子橋のすぐ近くに佇む神社。後白河法王が永暦元年(1160)に熊野権現を勧請したのが始まりで、熊野神社・新熊野(いまくまの)神社とともに京都三熊野のひとつに数えられる。
今では、道中安全祈願や進学、縁結びの神様として若い人にも人気を呼んでいる。
またサッカー日本代表のユニフォームでおなじみの八咫烏(やたがらす)が梛の葉を加えているマークはこの神社のシンボルだ。
辺りは、室町時代に足利尊氏・義政が花を愛でる宴を開いたといわれる桜の名所。
また秋には一面鮮やかな朱に染まる紅葉の名所でもある。

此処から哲学の道で東山慈照寺(とうざんじしょうじ)に続きます。
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此処から左手行くと銀閣寺に行きます。
 
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哲学の道・銀閣寺です(昼食休憩)雨の中でしたが食事しました。
哲学の道の歴史
京都の哲学者西田幾多郎(にしだきたろう)氏がよく散歩をし、「思索の小径(しさくのこみち)」と呼ばれていたのが、その後西田氏の弟子らも好んで散策したこともあり、いつしか「哲学の道」となり、1972年正式に銘々されました。
哲学の道とは、南の若王子神社から北の銀閣寺までを結ぶ、約1.5kmの散策道。
南禅寺境内の水路閣から送られてきた疎水(そすい)の流れに沿って続く道。
道沿いには桜が植えられ、春になると桜のトンネルを散策できる絶好の観光スポット。
四季を通じて訪れたい散歩道となっています。

銀閣寺(ぎんかくじ)・正式名称は此処は拝観して居ません。
年中観光客が絶えない代表的名所のひとつ。
八代将軍足利義政が、祖父である義満が造った金閣寺(正式名称「北山鹿苑寺(ほくざんろくおんじ)」)を見本に、構想20年により山荘を造営したのが始まり。
その後完成を待たずにこの世を去った義政を弔う為、寺に改められ、「慈照寺」となりました

白川疎水です。
北白川疎水は哲学の道から北白川・高野と北上する疎水沿いの散歩道で地元京都市民に人気のスポットです。春になると疎水が桜並木へと変わり、染井吉野・枝垂桜が約2キロメートルの散歩道に色を添えます。
桜の他にも菜の花やスイセンなどが咲くので、北白川疎水で春を感じてはいかがでしょうか。
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食後次の最終コース行くのに雨でしたので一部の方がお帰りに成りました。
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琵琶湖疏水は、琵琶湖の水を京都に引くための作られた水路です。大津からトンネルで山科へ、蹴上で発電所を経由し、水は南北に分かれて流れていきます。
北は哲学の道(白川)から鴨川をまたいで堀川まで、南は伏見を経由して宇治川まで、それぞれ長い水路を形成しています。
川沿いは遊歩道として、京都市民・観光客の憩いの場となっています。
桜が多く植えられ、春は桜の名所。

本日最後の場所に行く途中です。
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賀茂波爾神社(かもはにじんじゃ)(赤の宮)で解散です。
創祀年代は不詳。
「賀茂波爾(かもはに)神社」は下鴨神社の境外摂社(第四摂社)、「赤の宮神社」の名で親しまれています。
賀茂波爾神社は、かっては延喜式に登録されている式内社で、鎮座地は不明ですが平安時代以前から神祭用の土器を作る集団により祀られていたといいいます。
江戸時代中期、この付近は高野川が氾濫し荒れていました。
ある時、この地を訪れた
『越後屋又兵衛(えちごやまたべえ・大阪の商人)』が荒れ果てた地を見かね、治水事業を行いました
賀茂波爾神社が現在地に遷座したのは1671年あるいは1679年とされ、又兵衛らが高野川東岸を開墾した土地に移ってきたのです。
また、神社名にある「はに」は、祭神名あるいは、高野川の古名「埴(はに)川」から来たという説もあります。
延喜式神名帳にその名が見られることから、延喜年間(901〜923年)以前から存在していたと考えられる。
赤の宮の名は、古来、赤土を使って土器類を造る氏族の信仰を集めたことが由来とされる。
また、江戸時代に稲荷信仰と一緒になり、社殿や鳥居を真っ赤に染めたことがその由来とも言われている。
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お水汲んで帰りました。
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       最後まで見て頂いてありがとう御座います。

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