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zoom RSS 11月の京都らくらくウォーキング100選&明治村とリンゴ狩り

<<   作成日時 : 2016/11/20 22:26   >>

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今回のウォーキングは比叡山の阿闍梨修行千日回峰行、行者さんが京都大回りをたどった道を次回と二回

に分けて回ります。

今月は悠久の都・右大回りで来月京都らくらくウォーキング100選いよいよ百回目で左大回りです。

今回京都右大回り、北大路・東大路・九条通りでした。

地下鉄北大路駅集合し〜知恩院〜熊野神社〜妙傅寺〜満足稲荷〜行者橋〜

知恩院〜八坂神社(昼食休憩)〜安井金毘羅〜妙法院〜智積院〜新熊野神社〜

地下鉄九条駅ゴールです。

予定ではこの上記のコースでしたが八坂神社迄来て食後後半の予定のコースでしたが、何せ人が多くて

八坂神社〜安井金毘羅〜のコース取りやめて八坂神社〜川端四条〜河川敷に歩いて今熊野神社

迄歩いてゴールと成りましたが、途中七条大橋で知人が不幸があって帰りました。

   参加者は40名でした、毎月第3日曜日がウォーキング開催日です、参加お待ちしています。

  一部資料参考にしました。


15日から一泊2日の毎年信州リンゴ狩りです、駒ケ根一泊し翌朝松川町でリンゴ狩りしてきました、

初日は明治村見学して宿泊地駒ケ根迄天気も良くていい明治村とリンゴ狩り旅行でした。


地下鉄北大路駅集合しスタートです。
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知恩寺に行く途中です。
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知恩寺(ちおんじ)です。
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もとは皇円阿闍梨の住房比叡山功徳院の里坊で、平安時代前期に円仁が創建したものと伝えられる。
賀茂社との関わりが深く、神宮寺として、御所の北、今出川(京都市上京区、現在の相国寺付近)にあった。
その所在地から、賀茂の河原屋といった。
円仁作とされる釈迦如来像を安置したことから今出川釈迦堂、などとも称された。
法然は度々この地を訪れていた。法然が賀茂の河原屋に一時住んだのは、賀茂の神職から招かれたといわれる。
法然入滅後、弟子の勢観房源智は賀茂の河原屋をついで、功徳院神宮堂とし、法然の御影を安置して、法然を開山第一世とした。
念仏の道場とし、伽藍を整備し、如空のとき功徳院知恩寺と称した。
今日は朝市でした、沢山の人出です。
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次の熊野神社に行く途中です、京都大学の横通って行きました。
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熊野神社です。
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熊野神社は熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の祭神を勧請された神社のことである。 熊野詣の盛行や有力者による荘園の寄進、熊野先達の活動により全国に熊野信仰がひろまったことにより、熊野三山の祭神を勧請した神社が全国に成立した。
熊野三山の祭神たる熊野権現は、その主祭神である熊野三所権現だけでなく、十二所権現をも含んでいる。

妙傳寺に行く途中疎水です。
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妙傅寺(みょうでんじ)です。
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1477年(文明9年)、円教院日意によって京都一条尻切屋町の地に妙伝寺を建立された。開創にあたり師の日朝とはかり宗祖の日蓮の御真骨を奉安し、関西以西の信徒の願いを満たした。
同時に身延七面山に勧請されている七面天女と同木同体の霊体を安置し、これをもって「西身延」と称されるようになった。1536年(天文5年)、天文法難(法華一揆)により全山悉く灰燼。1541年(天文10年)には再び京都西洞院に再興する。これを第二の妙伝寺という。
1591年(天正19年)、妙伝寺第六世・慈眼院日恵の代、豊臣秀吉の命にて京極二条の地に移転する。
これを第三の妙伝寺という。
この時、一条家・四条家の菩提寺となる。
慈眼院日恵は妙伝寺の中興と仰がれる。
第八世には心性院日遠が歴世。第十四世には法性院日勇が歴世。
日勇は学徳高く、後水尾天皇の中宮・東福門院より金紋袈裟を賜る。
山科護国寺を開山し、山科檀林を開く。第十六世には寂遠院日通が歴世。第二十九世・住心院日義の代、宝永の大火が起こり、全山灰燼に帰す。現在の二条川端に再興しこれを第四の妙伝寺という。
第五世了遠院日勤、説法一万座に及び、浄財を勧募し現在の本堂を建立する。
開山日意以来、身延門流の直系、京都の触頭として京都日蓮宗八本山のひとつ。
京都十六本山のひとつである。
尚、歴代の廟は東山区鳥辺山通妙寺にあり、縁祖法性院日勇、並びに寂遠院日通の廟は山科護国寺にある。

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行者橋行く途中です。
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行者橋(ぎょうじゃばし)です。
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知恩院(ちおんいん)ですが横を通って八坂神社に向かって歩きました。
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知恩院(ちおんいん)は、京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院、山号は華頂山(かちょうざん)。
詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。
本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。
浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。
なお他流で門跡に当たる当主住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。
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八坂神社(やさかじんじゃ)円山公園で食事休憩です。
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休憩中に八坂神社回って来ました、沢山の人でした。
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元の祭神であった牛頭天王が祇園精舎の守護神であるとされていたことから、元々「祇園神社」「祇園社」「祇園感神院」などと呼ばれていたものが、慶応4年=明治元年(1868年)の神仏分離令により「八坂神社」と改められた。
京都盆地東部、四条通の東のつき当たりに鎮座する。
境内東側にはしだれ桜で有名な円山公園が隣接していることもあって、地元の氏神(産土)としての信仰を集めるとともに観光地としても多くの人が訪れている。
正月三が日の初詣の参拝者数は近年では約100万人と京都府下では伏見稲荷大社に次ぐ2位となっている。
また東西南北四方から人の出入りが可能なため、楼門が閉じられることはなく伏見稲荷大社と同じように夜間でも参拝することが出来る(防犯のため、監視カメラ設置、また、夜間でも有人の警備は行われている)。
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八坂神社石段から祇園界わい。
 
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円山公園での食後安井金毘羅宮(やすいこんぴらぐう)後半に人で多くてコース変更になり八坂神社〜安井金毘羅を取りやめて八坂神社〜川端四条〜河川敷歩いて最終の新今熊野神社迄歩きでしたが途中携帯に不幸な知らせが入り七条大橋付近で引き返しました。
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「なお」11月15日、16日、毎年恒例の一泊二日の信州リンゴ狩り(駒ケ根、松川方面)に出掛けましたので明治村の旅とともにアップさせていただきます、合わせてご覧下さいませ。

初日は明治村見学でした。
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信州松川でリンゴ狩りです。
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       最後まで見て頂いて有難う御座います。  

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