第110回京都らくらくウォーキング200選

今日は毎月ですが第三日曜日の京都らくらくウォーキングです。

酔芙蓉の花(すいふよう)・三条車道・旧東海道・大乗寺・亀の水不動・天智天皇陵・山科疎水・毘沙門堂コースです。

連日曇りや雨であまりいい天気では無くて今日も雨降ったり止んだりの

天気でしたので毘沙門まで行く希望者だけで行きました。

参加者も31名でした。

一部参考資料にて。

地下鉄蹴上駅集合後スタートです。

蹴上駅~三条車道~大乗寺~亀の水不動~天智天皇陵~山科疎水(食事休憩)~毘沙門堂~ゴールJR山科駅

でしたが途中天智天皇陵前で解散し一部最後の毘沙門まで11名で行きました。

地下鉄蹴上駅(けあげえき)です。
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スタート後まだ雨は降っていませんでした、蹴上浄水場横通り三条車道に行く途中です。
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三条車道です。
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江戸時代の京都周辺の三街道には、人や馬の通る人馬道とは別に、一段低い所に二列に敷かれている一種の軌道があった。
この軌道が車道であり、車道である。
車道は、幅が九尺(2.7m)で、長さ一尺(90cm)の牛道をはさんで2列に花崗岩の石が敷かれていた。
この石が車石で、その上を牛車の車輪が通ることから輪通り石、輪石、輪形石などと呼ばれている。
車石は、たて30cmm、横60cm、厚さ25cm~30cmぐらいが標準的な大きさで、輪形石・輪石・輪通石などとも呼ばれていた。
三条通の日ノ岡峠(標高100m)は、粟田口から山科に通じた峠だった。
日ノ岡の地名は、日ノ岡村に由来する。
村の東側が開けており、朝日が斜面に一番最初に当たったことに因む。
 周辺には、江戸時代、東海道(三条街道、大津札の辻-三条大橋間)に敷設された車石(くるまいし)の史跡が各所にいまも残されている。
車石は車道(くるまみち)に敷かれた2列の石のことで、荷を満載した牛車の交通を容易にするための工夫だった
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旧東海道です。
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大乗寺です。
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約300年前に京都の七本松に建立された寺で、禅宗系の寺から法華教の寺に改宗され、その後は尼寺として受け継がれ、約200年前に法華宗の大本山本能寺の末寺になった。
 この寺は建物も老朽化し、留守番としていた尼僧の申し出で約20年前に本山の意向にもとづき、現在の山科の地に移転してきた。
 しかし檀信徒がほとんど無く、若い僧侶を交代派遣したが落ち着かず、廃寺にしないよう本山御貫首の遺命があり、本山の要職にあった岡澤海宣(現住職)が無住の当寺に移り住んだ。
 平成4年に移り住んだ住職夫婦は、草庵に等しい荒れ寺をツルハシ一本で参道造りから始め、傍ら吟道宣州流瑛心会という吟詠会の吟友の薦めにより酔芙蓉の苗木100本ほどの寄贈を受け、毎年百数十鉢に挿し木して現在1,500本を越えるところになった。
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亀の水不動です。
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此処に行くのに道が狭く一人通るのがやっとでした。
かつての東海道(旧三条街道)で、以前は現在よりも幅広い道があった。
旧街道の峠を越えた崖の下に、亀の水不動尊(かめのみずふどうそん)と呼ばれる小さな祠が祀られ、いまも湧水がある。
 江戸時代、不動尊の場所には、梅香庵(木食寺)と呼ばれる庵があったという。
峠道を整備した木食僧・養阿(木食正禅)が結んだものという。
亀の水不動尊 旧東海道の峠道途中、南側の山肌に「亀の水不動尊」(山科区日ノ岡ホッパラ町)といわれる祠が祀られいまも湧水がある。名の由来は、石刻の亀の口より水が落とされていることによる。
地元の人の話によると、湧水地はかつて現在地ではなく、さらに奥の山中にあり、地域の生活用水として使われていたという。現在も上の水と呼ばれる湧水地があるという。
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天智天皇山科陵ですが雨が降てやむ気配が無くここで解散して最後の毘沙門まで 行く人居られますかと言って11名居られて天地天皇陵行かず横道通り毘沙門まで行きました。
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本来予定は天智天皇陵でしたが
 その昔、天皇陵あたりを御廟野と呼び、江戸初期の地誌『出来斎京土産(できさいきょうみやげ)』には、「此の野への名を忘れなば犬の声只ひゃうひゃうとひろき御廟野」とある。天智天皇は671年12月3日、大津宮で崩御。御陵の土地が選定されたが、壬申の乱が起こり、天智天皇の死後28年たった699年に、山陵修営官が任命された。
(鎌倉時代)等には、ある日天皇が馬に乗り山階に行幸、山林に入り行方不明となられ、沓のみ残されていたのでその場所を御陵と定めたとある。
『拾遺都名所図会(しゅういみやこめいしょずえ)』(1797年)には、「鏡池、寺内にあり、天智帝登天し給ふ時、此池水に玉体をうつし給ふとなり。霊水寒暑に増減なし」とあるが、現在、池は消滅している。
入らず横の道から山科疎水へ行きました。
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山科疎水です。
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琵琶湖から京都市内に水を引く、琵琶湖疏水の分線です。
四ノ宮~日ノ岡の約4.2kmの疏水沿いに桜並木が続きます。その脇には遊歩道があり、水面を流れる花びらと共に、東から西へのんびり歩くと気持ちいいです。
京都の人々の散歩コースとしても親しまれている道です。
春には桜が咲き乱れ、全長約4kmの“桜のトンネル”が続き、桜の下には菜の花が咲き誇ります。【桜の本数】 約450本
秋には紅葉が見事に紅く染まり人々の目を楽しませてくれます。
ここは、観光客が少なく「穴場」です。
途中には稲荷社を祀った永興寺や、金箔に覆われた大梵鐘で有名な本圀寺など、スポットが多数あります。
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山科市内が
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毘沙門堂に行く途中に瑞光院が。
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毘沙門堂です。
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京都市山科区安朱の毘沙門堂は、大宝三年(703年)に文武天皇の勅願により行基が創建した京都市上京区の護法山出雲寺が起源と云われています。
平安時代末期には荒廃していた出雲寺は、建久六年(1195年)に平親範(圓智)が廃絶していた平家ゆかりの三寺(平等寺、護法寺、尊重寺)を合せ、天台宗の宗祖伝教大師ご自作の毘沙門天を本尊とした仏堂を再興したことから、毘沙門堂と呼ばれるようになりました。
その後、たび重なる戦乱によって焼失し移転を繰り返すこととなりますが、江戸時代、後陽成天皇の勅命で天台宗の天海によって現在地(山科区安朱)に再興が始まり、寛文五年(1665年)その弟子の公海により完成しました。
この毘沙門堂では後西天皇の皇子公弁法親王が受戒し、晩年には隠棲されたことから代々法親王が住持となり、門跡寺院「天台宗五箇室門跡」のひとつとなりました。

境内の中央に位置する霊殿は、江戸時代に御所の御霊屋が移築されたもので、歴代の天皇と徳川将軍の位牌が安置されています。
霊殿の西に位置する宸殿は、同じく御所にあった後西天皇の旧殿を移築されたもので、門跡の書院とされました。
宸殿とともに御所から移築された勅使門にいたる参道は紅葉の名所となっています。
境内の東に位置する弁天堂には、太閤秀吉公の大政所高台尼公が大阪城内で念じていた弁才天が安置されています。
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上まで上がらず。
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帰る途中で祭りか?
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此処の諸羽神社の祭りだったようです。
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        最後までありがとう御座いました。