第119回NPO京都らくらくウォーキング200選

何十年に一度の西日本豪雨で被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。

今回は京都市内北区方面の大徳寺周辺をウォーキングでした。

連日暑い日が続き今日の天気予報では38度以上になる事ですが行って来ました。

暑い中参加者も33名でした。

大徳寺門前で集合し大徳寺~今宮神社~船岡山(食事休憩)~建勲神社~上品蓮台寺で解散です。

今日のコースはわりと木蔭多くでそんなに暑くは感じなかったです。 

次回開催は9月16日の毎月の第三日曜日です、陰陽師と嵯峨・広沢の池・安部晴明墓所です、

参加お待ちしています、受付は090-2066-5943です、参加費は500円です。    一部資料にて

門前にお店が。
画像
 文字はアップして見て下さい 
画像

出発前の説明です、わりと涼しかったです。
画像

大徳寺(だいとくじ)です。
画像

臨済宗大徳寺派の大本山で龍 寶山と号する。
鎌倉時代末期の正和4年(1315)に大燈国師宗峰妙超禅師が開創。室町時代には応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興。
桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み、信長の菩提を弔うために総見院を建立、併せて寺領を寄進、それを契機に戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。
勅使門から山門、仏殿、法堂(いずれも重文)、方丈(国宝)と南北に並び、その他いわゆる七堂伽藍が完備する。
山門は、二階部分が、千利休居士によって増築され、金毛閣と称し、利休居士の像を安置したことから秀吉の怒りをかい利休居士自決の原因となった話は有名。
本坊の方丈庭園(特別名勝・史跡)は江戸時代初期を代表する枯山水。
方丈の正面に聚楽第から移築した唐門(国宝)がある。
方丈内の襖絵八十余面(重文)はすべて狩野探幽筆である。什宝には牧谿筆観音猿鶴図(国宝)、絹本着色大燈国師頂相(国宝)他墨跡多数が残されている。
「このはし渡るべからず」や「屏風の虎」などの逸話で知られる一休さんこと一休宗純禅師がこちらの住職を勤めていたり、「茶の湯」を完成させた千利休が織田信長の怒りを買ってハラキリさせられる原因になったりと、なにかとインパクトのあるエピソードで知られる「大徳寺」。
大徳寺のあるこの土地を「紫野(むらさきの)」といいます。
画像
 
画像
 
画像
 
画像

今宮神社に行く途中ですが木陰でしたので暑さは感じませんでした。
画像
 
今宮神社(いまみやじんじゃ)です。
画像

平安期以前から疫病鎮めに疫神を祀った社があったといわれる。
994年(正暦5)都の悪疫退散を祈り、御輿を造営し紫野御霊会を営んだのが今宮神社の起りである。
現在の社殿は1902年(明治35)の再建。
「阿呆賢さん」と呼ばれる神占石は叩くと怒るともいわれ、撫でて軽くなれば願いが叶うとされる。
四面仏石(現在は京都国立博物館に寄託)などが有名。
徳川五代将軍綱吉の生母 桂昌院の氏神社として、良縁開運「玉の輿」のご利益を願う人で賑う。
建立:創祀 994(正暦5)年(平安時代)、現社殿 1902(明治35)年
画像

入って左奥で一息休憩でした。
画像
 
画像

こんな物も有りました、文字はアップして見て下さい、今宮神社の奇石です。
画像
 
画像

入口から入った反対の出口にこんな店が。
画像
 
画像

船岡山での食事休憩で説明中です。
画像

船岡山(ふなおかやま)です。
建勲神社に隣接する船岡山の西北部一帯が公園で、約56,200平方メートルある。
京都市北区にある小丘陵。標高112メートルで、船を伏せた形をしている。
平安時代は貴族の行楽地、のち火葬場・刑場。
また戦略上の要地とされ、応仁の乱の西軍の拠点となった。
頂上付近からの市街地眺望は抜群。
ツツジ、ハギ等、雑木林の中を遊歩道が延び、あずまや、藤棚などがある。
画像
 
画像
 
頂上に上がると左の山は比叡山、右の山送り火の大文字で、説明聞くと此処から送り火が4ヶ所見えますが早く来ないと一杯ですとの話でした、此処で食事休憩でした。
画像

食後建勲神社に行く途中です。
画像
 
画像
画像

建勲神社(たけいさおじんじゃ)です。
画像

通称(けんくんじんじゃ)と呼ばれますが正式には(たけいさおじんじゃ)と読みます。
天下を統一した織田信長の偉勲を称え、明治2年明治天皇が創建。
1910年(明治43)船岡山の山腹にあった社を山頂に遷祀した。
建勲の神号は明治天皇が下賜。
明治8年別格官幣社指定。
なお船岡山は平安京造営の際、玄武の山として北の基点となり、また、平安時代は大宮人の清遊の地として名高い。
応仁の乱の際は西軍の陣地となる。
10月19日の大祭は「船岡祭」といい、祭神・織田信長が1568年(永禄11)、戦国の世を終わらすべく初めて入洛した日を記念した祭典。
信長公ゆかりの敦盛の舞や舞楽奉納があり、年により信長公ゆかりの宝物などの公開や火縄銃の実射等の奉納がある。
次の上品蓮台寺行く途中です。
画像
 
画像
 
画像
途中で前に行く人が左に入る道を行き過ぎて行くので先頭に道がと言いに行き、一人で元の場所に引き返して行くともう後ろの方は先に左の道行かれて誰も居られず又先頭の所に行くと誰も居られず最後の上品蓮台寺に行くともう解散しましたと皆さん帰る道で会いました。
画像

上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)は行けずでした。
蓮華金宝山九品三昧院と号する真言宗智山派の寺である。  
寺伝によれば、当寺は、聖徳太子の創建と伝え、当初香隆寺(こうりゅうじ)と称したが、天徳4年(960)宇多法皇の勅願により、寛空僧正(かんくうそうじょう)が再建し、寺号を上品蓮台寺と改めたといわれている。
当時は、広大な寺域に伽藍(がらん)が建ち並び壮大なものであったが、応仁の兵火により悉く焼失した。
文禄年間(1592~96)性盛上人(しょうせいしょうにん)が復興し、当寺の外に十二の支院を建立したので、俗に十二坊の名で呼ばれるようになった。
しかし、現在支院は三院を残すのみである。
 本堂には、村上天皇より賜った上品蓮台寺の勅額を掲げ、内部には、本尊延命地蔵菩薩像を安置している。  寺宝としては、著色絵因果経(国宝)、著色文殊菩薩画像、著色六地蔵画像(ともに重要文化財)など、多くの文化財を蔵している。


              最後までありがとう御座いました。

      暑い日が続きますが皆さま熱中症にお気を付けて下さい。