第121回NPO京都らくらくウォーキング200選

10月に入り各地運動会もありますが、先月は台風とか大雨で被災された方々にはお見舞い申し上げます。

今回のウォーキングは京都市内南部伏見方面に行ってきました。

今日は最高の天気で楽しいウォーキングでした、参加者37名でした。

コースは伏見南港と・・・・長建寺・南浜・寺田屋です。

京阪中書島駅前集合し~長建寺~伏見南浜~港公園~寺田屋~伏見大手筋商店街解散です。

    一部参考資料にて


NPO京都らくらくウォーキングは毎月第三日曜日です、申し込みは電話090-2066-5943

次回開催は11月18日(日)京都裏鬼門の神・・・・浄善寺・城南宮・安楽寿寺の予定です。




京阪中書島駅です。
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文禄年間、中務少輔に任官していた脇坂安治が宇治川の分流に囲まれた島に屋敷を建て住んだことから、「中書島」の名前が生まれたとされる。中務少輔の唐名が「中書」であったことから、脇坂は「中書(ちゅうじょう)さま」と呼ばれていた。その「中書さま」の住む屋敷の島という理由で「中書島」と呼ばれるようになった[4]。
大正時代には宇治線の開通と京都電気鉄道伏見線の開業、急行運転の開始と共に急行停車駅となる。
長建寺です。
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 真言宗醍醐派。
京都市伏見区にあります。
一般に‘島の弁天さん’と親しまれている。
1699年(元禄12)伏見奉行建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき)が中書島開発の際、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離して創建した。
脇仏は珍しい裸形弁財天。
7月に弁天祭がある(第4日曜日)。
京都で御本尊が弁財天という寺はここしかない。
建立:1600年頃(江戸時代)
現世利益(げんぜりやく)のお寺で祈願に行く人が多い。
桜の名所で他に四季おいおいの花も美しい。
御守とおみくじが有名。
説明中です。
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伏見南浜行く途中です。
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伏見の旧市街地は,豊臣秀吉の城下町創設に始まり,以降400余年を経過した,我が国有数の歴史都市である。
 伏見の景観の特性を形作るものは,まず,歴史の中で形成された都市基盤である。
道路網においては,「四辻の四つ当たり」と呼ばれている中心線が偏心した交差点などが中世の城下町の面影を伝え,また,水路網においては,伏見城の外堀として開削され後に高瀬川と共に交通の動脈となった濠川などと,運河に面して設けられた船着場などが,近世の水運業の都市としての隆盛を示している。
 次に,この都市基盤上の,洗練された意匠を持つ小規模な町家と,伏見の伝統的産業の酒造業の振興によって生まれ,材質及び意匠ともに優れた大規模な酒蔵などの建造物である。
これらが好対照を見せて建ち並び,近世から近代にかけて活況を呈した商都のたたずまいを今に伝えている。
 特に酒蔵は,大規模な建造物でありながら,妻面が見せる深みのある陰影,しっくい壁,焼き板壁及び瓦屋根などが独自の風情を醸し出し,酒どころとして近代から今日まで生き続けている伏見の人々の気概をうかがわせ
ている。
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港公園行く途中です。
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伏見港は秀吉の伏見城築城の際に作られて、大坂との水運の拠点となりましたその後、角倉了以の高瀬川開削(1614)で高瀬舟が運行するようになり、京都との往来も盛んに。
17世紀末には、幕府の援助で商人の共同出資による伏見舟が登場し、港はますます発展。
三十石舟が盛んに出入りし、沿岸に多くの問屋が立ち並びました。明治期に入っても、外輪船が就航、その活況は続きます。
しかし次第に陸上交通の近代化により、舟運は衰退。昭和30年代半ばで、港としての機能は幕を閉じます。
伏見港公園内には、その歴史をしのび、復元した三十石舟が置かれています。
その後を埋め立てたのが伏見港というわけです。
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港公園で昼食休憩ですが時間が早いので元の場所に戻り食事休憩します。
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食事休憩です。
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寺田屋ですが中に入らず。
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寺田屋は伏見の船宿。
文久2(1862)年4月23日、薩摩藩急進派有馬新七(1825~62)以下35名が関白九条尚忠(1798~1871)と京都所司代の殺害を計画して集結した。
薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり、有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。
1866(慶応2)年に起きた、伏見奉行による坂本龍馬暗殺未遂事件です。
薩長連合を成し遂げた坂本龍馬は、行動を共にしていた長州藩士、三吉慎蔵とのちに妻となるおりょうを待たせている伏見の寺田屋へ向かいました。
真夜中に到着し、龍馬と三吉慎蔵が飲み始めたところ、伏見奉行所の捕吏たちに取り囲まれてしまいました。
龍馬と三吉慎蔵のために布団を敷いてから風呂に入ったおりょうは、窓から外を見てびっくり。
裸のまま階段を駆け上がって、捕吏たちに囲まれたことを報せました。
乱闘とはなったものの、おりょうの裸の報せのおかげもあって、龍馬と三吉慎蔵は窮地を脱しています。
寺田屋は鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し、焼失した。
現在の建物はその後再建されたものである。
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今日は天気も良く此処は人多かったです。
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伏見大手筋商店街です。
伏見大手筋商店街は、京都市伏見区に存在する商店街です。
実は大手筋という語源は古く、豊臣秀吉の時代までさかのぼります。
文禄三年(1594年)、秀吉は伏見城建築により大手広庭を形成、 そこに大手門を築きそれより少し曲がって西方に道を作ったのが大手筋通りです。
伏見城に出入りする一番重要な道であったわけです。
記録としては享保十三年(1728年)作成の紀伊郡伏見御城図に「大手広庭の前、大手筋通りと云う」と書かれています。
大手筋通のうち、京阪電鉄伏見桃山駅から風呂屋町通(納屋町通)の間がアーケードになっている。
このアーケードには、日本で初めて太陽光発電パネルが設置され、アーケード内の照明に利用されている。
慶長6年(1601年)に徳川家康が日本で初めて設置した伏見銀座と交差する通りであり、商店街内に銀座発祥の地石碑がある
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解散です。
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此処から京阪電鉄乗り帰りました。
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                最後までありがとうございました。



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