第122回NPO京都らくらくウォーキング200選 裏鬼門の神

今回も京都市内の南方面の南区・伏見区とまたがった周辺の京都の裏鬼門の場所ウォーキングです

11月中頃に入り寒さも厳しくなってきましたが、今日は天気も良くウォーク日和に成って楽しいウォーキングでした。

参加者も44名でした。

コースは近鉄・地下鉄竹田駅集合し浄禅寺~小枝橋~城南宮(昼食休憩)~北向不動~安楽寿院~竹田駅解散です。

                                         一部参考資料にて。

12月の第3日曜日(16日)は京都らくらく会のウォーキング日です

予定コースは行願寺~菊野~之船入~瑞泉寺~近江屋~イチヒメ神社です

参加申し込みは携帯09020665943当日参加OKです。

近鉄・地下鉄竹田駅です。
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出発後浄禅寺に行く途中です。
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浄禅寺(じょうぜんじ)です。
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開山は1182(寿永元)年、または1144(天養元)とも云われている。
浄土宗西山禅林寺派。
鳥羽離宮の北面の武士であった遠藤盛遠は、渡辺左衛門尉源渡の妻袈裟に横恋慕し、その夫 源渡を殺して袈裟御前を我ものにしようとする。
袈裟御前は一計を案じ、自ら夫の身代わりとなって遠藤盛遠に殺される。
その事実を知った遠藤盛遠は自らの罪を悔いて出家し文覚と名乗った。
それ以後文覚は全国各地を廻って荒行し、のちに高雄神護寺等を再興した。
恋塚は袈裟御前の首を埋めた塚で、1647年(正保4)当時の領主 永井日向守直清が林羅山に撰させて袈裟御前の貞女を顕彰した碑が境内に建つ。
「京の六地蔵めぐり」の一つ「鳥羽地蔵尊」として知られる。
観音堂には9~10世紀とされる十一面観世音菩薩(京都市指定文化財)を祀る。
中に入る前に説明中です。
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次の小枝橋に行く途中です。
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小枝橋(こえだばし)です。
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大政奉還し大坂城にいた徳川慶喜(1837~1913)は薩摩を討つため上洛を決意し,慶応4(1868)年正月3日,幕府軍本隊を鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍した。
鳥羽街道を北上する幕府軍と,これを阻止しようと竹田・城南宮周辺に布陣した官軍は,この地小枝橋で衝突した。
幕府軍1万5千人と官軍6千人の激しい戦いであった。
この石碑は,翌年夏まで続いた戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見戦の勃発地を示すものである。
次の城南宮に行く前に食事休憩です。
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食後の次の城南宮に
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城南宮(じょうなんぐう)です。
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794年の平安京遷都に際し、国常立尊(くにのとこたちのみこと)と八千矛神(やちほこのかみ)と神功皇后(じんぐうこうごう)を祀り、以来都の南方に鎮まり国を守護する城南宮と仰がれる。
平安時代の末に白河上皇がこの地に壮大な離宮を造営して院政を開始されると、政治・文化の中心地となり、祭礼も大いに賑わった。
『平家物語』の舞台でもあり、当時盛んに行われていた、熊野詣での際には、度々上皇方の方除(ほうよけ)の精進所(しょうじんどころ)にあてられ、旅の安全が祈願された。
今日、方除の大社城南宮として篤く信仰され、普請・造作・転宅・旅行・交通安全など、方除の神威もあらたかであり全国よりたくさんの参詣者で賑わっている。
明治時代の幕開けとなった鳥羽・伏見の戦いが始まった所で、薩摩藩が勝利の御礼参りに訪れた。
境内に広がる神苑楽水苑(らくすいえん)には、四季を通じて草花を賞でる人が絶えない。
春と秋の年2回行われる「曲水の宴」は王朝の雅を伝える行事として特に名高い。
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次の北向き不動院に行く途中です。
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北向不動(きたむきふどう)です。
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正式には北向山(きたむきざん)不動院という。
近鉄京都線、京都市営地下鉄烏丸線の竹田駅で下車し、西南方向へ徒歩約10分。
安楽寿院の西にある比較的こじんまりとしたお寺である。
本尊は秘仏の不動明王像で、北を向いて安置されているためにその名前がある。
年に1度、1月16日に開扉される。
お寺に近づくにつれて、人が増えてくる。
参拝を終えて戻って来たらしい方々は、皆どことなく満足そうな顔つきである。
狭い境内は人で溢れんばかりで、信仰厚いお寺さであると実感する。
人が多いとじっくりと拝観というのは難しいが、その一方賑わっているお寺の雰囲気はいいものである。
北向不動の名の通り本堂は北向きで、その南側に耐火式のお堂が接続してつくられており、その横手から入る。
本尊は耐火式のお堂に移されているので、本堂内陣の厨子中には小ぶりの前立ちの不動三尊像が安置されている。
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次の安楽寿院にいく途中です。
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安楽寿院(あんらくじゅいん)です。
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保延3年(1137)、鳥羽上皇が鳥羽離宮の東殿を仏寺に改めてできた。
境内には藤原時代の三尊石仏や五輪石塔など、また付近には近衛天皇陵や鳥羽天皇陵など鳥羽離宮ゆかりのものが数多く残されている。
鳥羽伏見の地、院政時代の広大な鳥羽離宮、貴族たちの雅な夢の跡、今、この地はその片鱗すら窺うことは
出来ません。
幕末動乱期のあのドサクサすら感じることが出来ない。
そんな舊地の一角に安楽寿院は法灯を紡いでいます。
唯一微かな香りは院政絶頂期の白河、鳥羽両天皇の陵と若くして崩じた近衛天皇の陵が往時の名残を止めている。
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地下鉄竹田駅解散です。
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                最後までありがとうございました。