第125回NPO京都らくらくウォーキング200選 太秦の豪族

二月に入り少し暖かい日が続き過ごしやすい日がありましたが、ここ何日間は真冬並みの寒さです。

でも今日は寒さ感じず、毎回ですが楽しいウォーキングが出来ました。

京都マラソンでしたが、ウォーキングには歩くのに関係なかったです。

今日のコースは太秦界隈のウォークでした。

嵐電帷子ノ辻駅集合しスタート~蛇塚~牧野省三碑~広隆寺~蚕の社~

京都ファミリー(昼食休憩)~春日神社で見学後解散です。

  今日の参加者は47名でした。       一部参考資料にて。


次回3月17日(日)です、参加者は前日又は当日でいいですが申し込みは、携帯番号080-5338-0771京都らくらくウォーキング吉田迄お願いします、参加費は500円です。


嵐電帷子ノ辻(かたびらのつじ)駅です。
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京都市の西部・東映太秦映画村の西側にある嵐山本線と北野線の接続駅で、嵐電最大規模となる単式・島式混合4線を有する地上駅。
嵯峨天皇の皇后である壇林(だんりん)皇后が亡くなったとき、棺を戸板にのせて送葬の途中、この辻に差し掛かったところ、おりから吹いた一陣の風により、棺に覆ってあった帷子(絹又は麻糸で織ったひとえ仕立ての布で、夏の汗取りとして着用した着物)が飛び散った。
この出来事が伝承され、このあたりの地名となった。
蛇塚古墳(へびづかこふん)です。
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京福電車帷子ノ辻500メートル。
右京区太秦面影町にある巨大な横穴式前方後円墳。全長75メートルにおよぶが、今は封土がなくなり巨石を積み上げた石室が露出。
石室の長さは明日香の石舞台古墳に次ぐが、高さ・幅ではそれをしのぐ。
秦氏一族の首長墓と推定される貴重な遺跡。
京都府下最大、全国的にも有数の規模を誇る横穴式石室をもつ古墳で、古墳時代後期の7世紀頃に築造されたと考えられる前方後円墳。
このころの太秦一帯は機織や高度な土木技術をもつ渡来系氏族の秦氏により大いに栄えており、蜂岡寺(広隆寺)の創建や、後の平安京造営に際してその一翼を担うほどの勢力をもっていた。
その秦氏一族の族長クラスの墓といわれる。
はやくから封土は失われ、残存する石室の周囲には民家が建ち並んでいる状況だが、後円部の石室は全長17.8メートル、玄室長6.8メートル、玄室幅3.9メートル、玄室床面積25.8㎡を測る。蛇塚の名称は、かつて石室内に蛇が多く棲息していたことに由来するといわれている、国指定史跡。
牧野省三碑に行く途中にこんな所ありました、松竹京都映画株式会社です。
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撮影場所内です。
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牧野省三碑(まきのしょうぞうひ)です。
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日本最初の職業的映画監督であり、日本映画の基礎を築いた人物である。
「映画の父」と呼ばれたD・W・グリフィスになぞらえて「日本映画の父」と呼ばれた。
千本座の経営者から映画製作に乗り出し、300本以上の時代劇映画を製作。
尾上松之助とコンビを組み、彼の忍術映画でトリック撮影を駆使した。
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広隆寺(こうりゅじ)です。
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広隆寺は京都市左京区太秦(うずまさ)にある真言宗のお寺です。
建立:603年(飛鳥時代、推古天皇11年)秦河勝が聖徳太子から賜った仏像を本尊として建立した京都最古の寺。
その本尊が国宝指定第1号の弥勒菩薩像。
桂宮院(国宝)は法隆寺の夢殿に似た単層八角円堂。
10月の‘牛祭’は京都三大奇祭の一つ。
広隆寺は、東映太秦映画村で有名な太秦に所在するが、創建当初からこの地にあったものかどうかは未詳で、7世紀前半に今の京都市北区平野神社付近に創建され(後述のように北野廃寺跡に比定されている)、平安遷都前後に現在地に移転したという説が有力である。
創建当初は弥勒菩薩を本尊としていたが、平安遷都前後からは薬師如来を本尊とする寺院となり、薬師信仰とともに聖徳太子信仰を中心とする寺院となった。
現在の広隆寺の本堂に当たる上宮王院の本尊は聖徳太子像である。
『上宮聖徳法王帝説』は蜂岡寺(広隆寺)を「太子建立七大寺」の一として挙げている。
なかでも弥勒菩薩像は修学旅行生にも人気で、仏像は切手や教科書に載ったりしているので行ったことがなくても、ほとんどの人はその仏像の姿を一度は目にしていると思います。
慈悲深く、物思いにふけったような半跏思惟像(はんかしいぞう)はとても美しく、訪れた多くの人々を夢中にさせてしまうことでしょう。
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蚕ノ社(かいこのやしろ)です。
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蚕ノ社とは京都市右京区太秦の住宅地の中に建つ神社です。
正しくは木島座天照御魂(このしまにますあまてるみたま)神社と言い略して木島神社とも呼ばれています。
創建は不明ですが、太秦にある秦氏ゆかりの社です。
特に有名なのが、日本では珍しい三柱鳥居です。
三つの鳥居を組み合わせた形で、三方から拝むことが出来る造りになっています。
なぜこのような形をしているのかは?見ればみるほどに不思議なオーラを放つ鳥居です。
観光客も少なく、ゆっくりとこの珍しい鳥居を観ることができます。
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そして、この鳥居は京都御苑内の厳島神社の唐破風鳥居
北野天満宮の伴氏社の鳥居とともに京都三珍鳥居のひとつと言われています。
境内には三柱鳥居ほか「元糺の池」や「元糺の森」があります。
嵯峨天皇が「糺」を下鴨神社に遷された際に、木嶋神社の森を「元糺」とされたことに由来すると言われています。
本殿の東側には織物の神様を祀る養蚕(こかい)神社があります。
養蚕・機織・染色の技術に優れた秦氏に縁が深いことから“蚕ノ社”と呼ばれ
今でも、秦氏にあやかり製糸業者や染色業者の参拝者が多く訪れるそうです。
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昼食事休憩に行く途中に。
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京都ファミリーです(食事休憩)野菜チャンポンです、美味しかった~(#^.^#)。
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春日神社(かすがじんじゃ)です。
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創建:833(天長10)年2月28日 平安時代
平安初期、淳和天皇が淳和院に奈良春日大社よりご分霊を迎えておまつりされたことが起こりと言われている。
神前の霊石で皇女の疱瘡が治り、病気平癒の神として崇められたという。
江戸期にも歴代天皇が健康祈願をされた。
毎月1日、11日、15日のみ公開される「疱瘡(ほうそう)石」は平安時代より病気回復にご利益がある。
境内にまつられている還来神社は旅行安全として信仰を集めており、社前にある「梛石」を撫でると無事帰って来れるといわれている。
10月第2土、日曜に「春日祭」。
無病息災、五穀豊穣を感謝する祭で、日曜日には重さ2トンのみこし2基が出御。
みこしを中心に剣鉾5基とともに総勢1000名が区内を巡行すると言われています。
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此処で解散しました、最後まで見て頂いてありがとうございます。