第126回京都らくらくウォーキング200選  西国街道

3月にはいり、春らしい気候になって来ましが此処一週間は肌寒い日が続きました、
今日は出発時に雨が降って来ましたが傘ささずでした、途中いい天気に成り楽しいウォーキングでした。

今日のコースはJR桂川駅集合です~綾戸国中神社~厳島神社~吉祥院天満宮~洛南イオン(昼食休憩)~若一神社~梅小路公園で解散しました。


  参加者 36名です               一部参考資料にて


           
次回開催は第三日曜日4月21日です、予定は東福寺・伏見疎水・藤森神社・墨染寺です。

参加希望者は電話080-5338-0771京都らくらくウォーキング会迄、当日でも参加できます。

参加費は500円です。




JR桂川駅です。
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出発前の今日のコースの説明です。
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綾戸国中(あやとくなかじんじゃ)です。
雨に成りましがそんなに強く降っていません。
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社伝によれば、第二十六代継体天皇の御代には大堰川(桂川)七瀬の祓神として大井社と称し第六十二代村上天皇天暦九年(965年)綾戸社に改称され、社号の額は第七十代後冷泉帝の御震筆と伝えられている。
 また、國中社は本来蔵王の杜(現光福寺蔵王堂)に社地があって中世には牛頭天皇社とも呼ばれていた。
古くには久世郷全体の郷社であったと推定される。
戦国時代、國中社が綾戸社の境内に移され、以来綾戸國中神社と称するようになったのです
近一帯が湖水に覆われていたころ、素盞嗚尊が天降って水を切り流し、その中心に愛馬(天幸駒)の頭を彫刻したものを尊の形見として祀ったのに始まるという事です。
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厳島(いつくしまじんじゃ)神社です。
パラパラの雨でした。
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創祀・由緒などは不明。
御祭神は市杵嶋姫命・多紀理姫命・多岐津姫命の宗像三女神。
神名については、『日本書紀』記載通りの場合がある。
つまり、『日本書紀』巻1に記されている、第一に「田心姫」 次に「立田姫」が生まれ、さらに「市杵嶋姫」が生まれた、というもの。
中久世・下久世の産土神。
都へ到着する最後の関門・久世橋の手前で、国家鎮護・海上交通の守護神として崇められていたという。
境内社に、八王子神社・大将軍神社・年當講社などがある。
綾戸國中神社の兼務社のようで、乙訓鎮座神社巡りにおいても当社御朱印
ただし、表参道は県道207号線、久世殿城交差点の近く。
いわゆる旧西国街道であり、つまり、約200メートルに達する長大な参道があります。

吉祥院天満宮に行く途中で、雨も上がり。
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天満宮手前に、こんな場所も
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吉祥院天満宮(きつしょういんてんまんぐう)です。
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建立:934(承平4)年
朱雀天皇が菅原道真を尊崇して勅祀した初の天満宮。
また遺唐使だった道真の祖父が船で唐へ向かう途中、海上で霊験を得たという吉祥天女を帰国後自ら刻みまつったのがはじまりといわれている。
本殿、舞楽殿のほか吉祥天女堂がある。
この地は桓武天皇が平安京遷都の折、道真公の曾祖父古人卿ふるひときょう、祖父清公卿きよきみきょうがお供して都に入り、帝より領地として賜ったところ。
845年6月25日に是善卿これよしきょうの子として道真公(幼命阿呼・吉祥丸)が生まれ、幼少の頃から才智高く、862年に18才で文章生に合格されるまではこの吉祥院に住んだ。
その後、御所仕えのこともあり父是善卿のすすめで大内裏近く宣風坊(五条西洞院付近)に移り、勉学に励み、清公卿、是善卿につづき33才の若さで文章博士になった。
そして宇多天皇の特別の信任もあり学者としては初めて右大臣までなったが、その異例ともいえる栄達に有力者たちの不満が高まった。
そして左大臣藤原時平の醍醐天皇への讒言により太宰権帥ごんのそち(副長官)として901年1月25日に左遷されてからは、望郷の詩を幾篇となく綴り、京のことを想いつつ、903年2月25日ついに冤罪を晴らすことなく、59才で、病苦のうちに生涯を閉じた。
菅原道真公が逝去後31年目に当たる承平4年(934)に、朱雀天皇の勅命により、誕生の地に創建された最初の天満宮。
これより先、平安遷都とともに文章博士として恒武天皇に随行された道真公の祖父清公卿は遣唐使の命を受けて唐へ渡航中暴風に遭遇、船上にて吉祥天女の霊験を得て入唐。
任務を終え帰国後、自邸内にお堂を建て吉祥天女の尊像をまつったことが吉祥院の由来で地名の起源となっている。
境内には道真公のへその緒を埋めたと伝えられる胞衣[えな]塚をはじめ、少年時代習字に使用したという硯の水や顔を写したと伝える鑑[かがみ]の井などがある。
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洛南イオンで昼食休憩です。
今回も前回と同じチャンポン麺でした、美味しかったです。
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若一神社(にゃくいちじんじゃ)です。
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建立:1166(仁安元年)
平安末期平清盛がここに別邸を建て「西八条殿」と称し、紀州熊野の若一王子の御霊を祭ったのが始まり。
以後清盛の勢威がのびたというので開運出世の神として崇められる。
社前の清盛手植の大楠がシンボル。
若一神社は平清盛の別邸があった場所です。
境内には、清盛の熱を下げるために使ったとされる神供水があり、自由に誰でも飲んだり、持ち帰ったりすることができる開運出世の京の銘水です。
この水は新生児の産湯としても使用されています。
また、御神木である楠は清盛自らの手で植えつけたとされており、別邸が燃えた際も焼け残りました。
以来、楠を切ろうとしたり、工事をしようとすると、
この木を切ったり移し替えようとすると、必ず祟りがあったと伝えられます。
平安や鎌倉時代の事だけでなく、昭和の初め、市電工事の際にどけようとしたところ、工事関係者に次々と事故や不幸が襲い、やむなく断念したといういわく付きの楠なのです。
そのため、ここだけ道が、膨れ上がった楠が京の碁盤の目を少し曲げ、真っ直ぐではないのです。
若一神社の境内に、「平清盛公西八条殿跡」という石標があります。
この石標が示す通り、この辺には平清盛の別邸である西八条殿があり、それは、現在の梅小路公園にかかるほどの広大な敷地でした。
清盛は出家後、ほとんどを福原(神戸)で過ごしており、ここには主に妻の時子が暮らしていたとされています。しかし、清盛が亡くなった翌々日に放火により焼かれ、都落ちの際には平氏自らが火を放ち、豪勢な邸宅は焼失してしまいました。
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梅小路公園に行く途中です、いい天気に成りました。
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梅小路公園(うめこうじこうえんです)。
JR元旧二条駅の駅舎がありました。
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梅小路公園は、市街地の中心(京都駅から西へ徒歩約15分)にありながら人が緑と花で憩える空間として、また災害時には市民の皆さんが避難できる場所として、1995(平成7)年から開園している面積約13.7ヘクタールの都市公園です。
公園内には、広々とした「芝生広場」、水と親しめる「河原遊び場」、賑わいのあるイベントが開催される「七条入口広場」、などがあり、有料施設として、建都1200年を記念して創設された日本庭園『朱雀の庭』や、京都で初めての復元型ビオトープ『いのちの森』、京都市電として初めて導入された車両が走る『チンチン電車』、便利なレストランや多目的に利用できる貸室(和室・茶室・イベントホール)のある『緑の館』があります。
また、2012年3月に、京都市初の本格的な水族館『京都水族館』がオープンしたほか、2016年4月には、日本最大級の鉄道博物館『京都鉄道博物館』があります。
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2019年3月16日にはJR梅小路京都西駅、新駅が出来ましたので乗って帰りました。
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駅のホームより京都タワーが遠くに見えます。
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   最後までありがとうございました。