第128回京都らくらくウォーキング200選 世界文化遺産の神社

令和元年の最初の京都らくらくのウォーキングです。

平成最後の4月のウォーキングは脊柱管狭窄症になって参加出来ず。

今回は世界文化遺産の神社回ります。

コースは上賀茂神社集合しスタートです。

上賀茂神社~社家町~大田神社~深泥ケ池~宝ヶ池公園(昼食休憩)~妙円寺~地下鉄松ヶ崎駅迄です。

今日の参加者は51名でした。 今日は少し風もあっていいウォーキング出来ました。   一部参考資料にて。

次回開催日は6月16日(日)9時45分叡電出町柳集合です。

コースは下賀茂神社~桝形商店街~御所内猿が辻~母と子の森~梨木神社~蘆山寺~厳島神社~堺町御門で解散です。
参加者は当日か前日に京都らくらくウォーキング・電話080-5338-0771担当吉田迄お願いします。



上賀茂神社です。
「正式名称」
賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)
「通称名称」上賀茂神社(かみがもじんじゃ)
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京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。
賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。
賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。
また、社報「上賀茂」が年2回発行されている。
社家町です京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。
賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。
賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭5月15日)で有名である。
社家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。
代々特定神社の神職や社僧の職を世襲してきた家(氏族)のことである。
明治維新後、現代まで世襲している神職家のことをいう。
社家(しゃけとは、建物を表す言葉ではなく、身分を表す言葉です。
「社家」とは、代々神職を世襲してきた家のことで、大きな神社では、そこに仕える神職車が神社のすぐそばに住むことが多く、その住まい一帯を社家町といいます。
上賀茂神社の周辺では、室町時代から神官の屋敷町として町なみがつくられました。
江戸時代には、275軒ほどありましたが、明治4年に神職の世襲が廃止されると、激減し、現在は20軒ほどになっています。
全国に社家町は存在しますが、この規模で現存しているものは、ほとんどありません。
明神川に架かる土橋、川沿いの土塀や門、土塀ごしの庭のみどり・これらが一体となって貴重な社家の景観を伝えている珍しい風景です。
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社家町です。
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大田神社(おおたじんじゃ)です。
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大田神社は、京都市北区にあります。
上賀茂神社の境外摂社です。
杜若(カキツバタ)が有名で、初夏には美しい色合いの花を咲かせます,
ちなみに大田神社のかきつばたは、国の天然記念物です、令和元年の見頃は4月の下旬~5月20日頃です。
大田神社は、昔は恩多社とも呼ばれていました。
恩多社と書いて、読み方は「おんたしゃ」。
祭神として天鈿女命(アメノウズメノミコト)が祀られています。
日本最古の踊り子です。
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深泥ケ池です。
「みぞろがいけ・みどろがいけ」
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市内を南北に走る鞍馬街道を北へ、北山の住宅街を抜け、宝ヶ池の西側に広がる湿地帯の中央に深泥池はある。
周囲約1500メートルの池であり、氷河期から生き残っている生物もおり、生物群集が天然記念物として指定されている。学術的にも貴重なエリアであるが、多くの伝承が残されている池でもある。
その名の由来であるが、行基がこの池から「弥勒菩薩像」を発見したことから始まるらしい(あるいはここに深泥池地蔵堂を置いたという伝承から)。
一般的には、泥が大量に堆積している底なしの池という意味から「みどろがいけ」と呼ばれているが、伝承的な側面から言えば、弥勒や地蔵という音から「みぞろがいけ」と呼ぶ方が正しいようにも感じる。
この地はちょうど洛中から鞍馬街道へ向かう分岐点であり、まさに人里から異界への境界線上であるという認識があったようである。そして“鬼が出てくる穴”というものが存在していたという。
その出現してくる鬼を退治するために、始まったのが『豆まき』であるというのである。
昭和初年頃には「豆塚」なるものがあった言われているが、今ではその所在していた場所すら不明である。
一説によると、深泥ヶ池から少し離れたところにある深泥ヶ池貴船神社の境内にそれがあったと言われている。
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宝ヶ池に行く途中です、池迄かなりの坂でした。
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宝ヶ池公園(昼食休憩)です。
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 宝が池は,かんがい用の溜池として江戸時代中期につくられたもので,最初はわき水をせき止めただけの小さなものでしたが,しだいに堤を高め,江戸時代後期にほぼ現在の大きさになったとされています。
 松ヶ崎付近は古くから景勝の地として知られていいますが,この地を公園化する計画が具体化するのは,
昭和17年に防空緑地として都市計画決定されたことに始まります。
 昭和36年に,国立京都国際会館が北側隣接地に建設されることが決定してから,施設整備が大幅に進み,子供の楽園(昭和39年),菖蒲園(同46年),憩の森(同49年),桜の森(同52年),北園(同53年),野鳥の森(平成4年)を次々に整備し,現在の姿になっています。
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妙円寺(松ヶ崎大黒天)に行く途中宝ヶ池周辺です。
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妙円寺(みょうえんじ、松ヶ崎大黒天)です。
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当山は山号を松崎山 寺号を妙円寺(通称は松ヶ崎大黒天)といいます。
霊峰比叡山の西南、松ヶ崎山の麓にある、妙円寺(松ヶ崎大黒天)は遠く約400年前の江戸初期の開創にして、天恵の風致と京の護りに合致した霊域に位置します。
福寿開運の大黒天は、京都七福神の第一番の霊場としてご本尊の威徳を慕い、帰依される信者は全国各地多数におよびます。
当山は関ヶ原の合戦の後、江戸初期の元和二年(1616)本涌寺(松ヶ崎檀林:現在の涌泉寺)内に建立された本覚院日英上人の隠居所で、本覚院日英上人による開基・開創された日蓮宗のお寺であります。
永仁二年(1294)日蓮聖人の法孫、日像上人によって法華経が弘められ、徳治元年(1306)に松ヶ崎全村ことごとく日蓮宗に改宗したという法華信仰の流れがあり、「松ヶ崎法華」とまでいわれるようになりました。
また承応三年(1654)教蔵院日生上人によって創立された「松ヶ崎檀林」(僧侶の学校)が、かつてこの近くにありました。
現在は尼僧の学校である、日蓮宗尼宗学林があります。
毎年8月16日に点火される「五山の送り火」のうち、当山の背後の両峰に点火される「妙法」は、約600年という歴史があります。
その歴史ある聖地に、妙円寺が建立されているのです。
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此処で解散して、地下鉄松ヶ崎駅に向かいます。
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地下鉄松ヶ崎駅です。
1997年(平成9年)6月3日 - 京都市営地下鉄烏丸線の北山駅から国際会館駅までの延伸開通に伴い開業
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        最後までありがとう御座いました。

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