祇園祭・後の祭り巡行

今日は祇園祭後の祭りの巡行見てきました。
前日34℃の暑さでやっと梅雨も明けて、暑い中見物する所は大きな木陰で暑さも楽でした。
六月中頃から梅雨入りし天気も無くて曇り雨が続きましたが
17日の祇園祭前祭り巡行はいい天気で今日(24日)もいい天気でした、今日は35,5℃と言って居ました。
今回は2年ぶりに花街の綺麗どころと子供たちの神輿など有り花傘巡行もありました。
それに193年振りに鷹山(たかやま)が唐櫃(からびつ)を担ぎ巡行に復帰しました。
コースは17日の前祭りと逆コースです。
くじ取らずの橋弁慶山が先頭で11基で9時30分出発御池烏丸から東に進み御池寺町でくじ改めした後
河原町~南に進み四条河原町から四条烏丸迄の巡行でした、約3時間ほどですが後はその時の都合で時間は延びたでしょうね。

9時30分出発でしたので現地付いた時はもう人で一杯でした。
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人が多いのでくじ改めは無理でした。
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一番くじ引かず橋弁慶山(はしべんけいやま)です。
京都の祇園祭で巡行する山鉾「橋弁慶山」は、牛若丸(義経)と弁慶が五条大橋の上で戦う姿をあらわしており、数ある義経の物語の中で謡曲「橋弁慶」を題材としています。
五条の大橋の金色の擬宝珠の上に建つ軽やかな牛若丸と長い太刀を持つ弁慶。
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二番北観音山(きたかんのんやま)です。
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この柳の枝は巡行後に厄除けのお守りとして町内に授与されます。
 以前は屋根の無い山として巡行していましたが、天保4年(1833)からは鉾と同じ飾り屋根を付けた曳山として巡行しています。山舞台には本尊の揚柳(ようりゅう)観音像と脇侍の韋駄天(いだてん)立像を安置しています。
 屋根の上には真すぐに伸びる真松を立てています。
山全体が豪華な懸装品で飾られる北観音山ですが、とりわけ目を引く下水引の「関帝祭図」は刺繍の逸品で唐人物王侯行 列風景が細密に描かれています。

三番鯉山(こいやま)です。
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室町時代から続く鯉山は昔、「龍門の滝山」と呼ばれていました。
龍門とは中国黄河の上流にあるという激流の難所のことで、鯉がここを登りきると龍になり祀られたという「登龍門」の故事を題材に難関突破・出世開運など、人々の成功と繁栄を願って作られました。
山に飾られる木彫の鯉は江戸時代の名工「左 甚五郎」の作と伝えられています。
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四番八幡山(はちまんやま)です。
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町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したもので、常には町会所の庭にお宮を祀っている。山の上の小祠は総金箔の美麗なもので天明年間(1781~1788)の製作といわれる。水引は今までの金地花鳥仙園図唐繍にかわって昭和61年より十長生図の刺繍が用いられている
「十長生」とは不老長寿を意味する。
前懸は慶寿群仙図で元禄3年(1690)に寄進されたものを昭和62年に復元新調したのである。
見送は日輪双鳳人物文様の綴錦と藍地雲龍文様蝦夷錦がある。
欄縁の彫金飛鶴は河原林秀興作と伝えられ、朱塗鳥居の上には左甚五郎作の木彫胡粉彩色の鳩が飾られる。
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五番黒主山(くろぬしやま)です。
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山の上の情景は御神体人形の白髪の歌人大伴黒主(おおともくろぬし)が桜の花を仰ぎ眺めている姿です。大伴黒主は六歌仙の一人で、この物語は謡曲「志賀」に取材したものです。
桜は樫の木に紙で作った造花をつけています。
 大伴黒主は白髪の髷(まげ)を結い顔を上に向けて桜を眺める姿がリアルに表現されています。体長が160センチあり、原寸の人間像である黒主像には寛政元年(1789)の銘が入っているそうです。
 黒主像の装束は延宝3年の作などの江戸時代初期の非常に貴重なものですが、これは宝物として保管し、現在は寛政2年(1790)作の衣裳を着ています。
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テレビ中継していました。
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六番南観音山(みなみかんのんやま)です。
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「下り観音」とも呼ばれ、かつては後の祭の殿(しんがり)をつとめていた。
平成24年の巡行順変更に伴い、29番目(後祭では6番目)を巡行することになった。
御神体は北観音山と同じく楊柳観音像と善財童子像である。
この山の楊柳観音は頭から袈裟をつけて座った姿をしている。
「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性である」といういい伝えがあり、巡行前日の23日深夜にはこの楊柳観音像を御輿に縛りつけ町内を3週する儀式「あばれ観音」が行われる。
「北観音山の観音への恋心を鎮める」などいわれは様々だが、定かではない。
前掛は異无須織(いむすおり)と伝える華麗なペルシャ絹緞通(だんつう)の逸品である。
また胴掛にはペルシャ花文の緞通が用いられている。
他にも1684年の銘があるインド更紗も保存。
見送りは中国明時代のもの。
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七番役行者山(えんのぎょうじゃ)です。
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役行者山には役行者、一言主神、葛城神の三柱の神様が祀られています。

修験道の開祖である役行者が、一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋を架けたという伝説を題材にしています。

役行者を中心に据え、向かって右側に葛城神、左側に一言主神を祀ります。

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祭(八番浄妙山(じょみょうやま)です。

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 1180年,高倉宮以人王(もちひとおう)を奉じた源三位頼政が平家との宇治川の合戦の際、一来法師が三井寺の僧兵・浄妙の頭上を飛び越して前に出る瞬間の,両者の姿をとらえている。
揺れる山の上で人形の上にさらに1体を乗せるのは強度の点で難しいが、1本の木で上下を繋ぐアイデアは素晴らしい。町内で所有する鎧は,重要文化財に指定されている。
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九番鈴鹿山(すずかやま)です。
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鈴鹿山は旧東海道の難所・鈴鹿峠のこと。
ここで人々を苦しめる鬼を退治した鈴鹿明神(瀬織津姫命)の伝説に由来する。
このあたりは盗賊が多かったことが鬼の話に転化したと思われる。
女性の姿をした鈴鹿明神像は大長刀を手に、立て烏帽子を被った姿が凛々しい。
鬼=盗賊のためか、巡行の後は松につけられた絵馬は「盗難除け」のお守りとなる。
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十番鷹山(たかやま)です。
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鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒のある山鉾です。
御神体は鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、中納言在原行平様が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面です。
鷹山も他の山鉾と同じく幾多の災害にあいながらも七転び八起きで立ち上がってきました。
そして鷹山は他と競いあうようにして豪華になり、江戸時代後期には黒漆塗で破風裏は金という華麗な屋根を持つ曳山になりました。
ところが文政9(1826)年の巡行で大雨にあって懸装品を汚損したことを理由に、翌年から加列しなくなりました。
それから現在まで約190年もの間、御神体をお飾りする居祭を三条通室町西入の町家等で続けてきました。
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十一番大船鉾(おおふねほこ)です。
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辻回し用の竹です。
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平成26年7月、大船鉾が復興され、祇園祭の山鉾巡行への参加を果たしました。大船鉾は元治元年(1864)の蛤御門の変に端を発する大火で本体などを焼失してしまいましたが、このほど150年ぶりに再建され、祇園祭山鉾巡行への参加となりました。大船鉾の復興は、鉾を出す四条町(京都市下京区新町通四条下ル)にとっての悲願であり、祇園祭にかかわる人びと、さらには京都全体にとっても慶事となりました。

 大船鉾は、祇園祭の後祭巡行の最後を飾る鉾として、巡行の殿(しんがり)をつとめる役割を担ってきました。

大火での大船鉾焼失以降、幕末から明治大正昭和と時代は移り変わり、この間に祇園祭にもさまざまな変遷がありました。

昭和41年(1966)からは後祭巡行が前祭と合一され、およそ半世紀が過ぎましたが、この大船鉾の復興が契機となり、同じ年に後祭巡行が実に49年ぶりに復活されました。

大船鉾復興と共に祇園祭にも新たな歴史が刻まれたのです

150年の時を経てよみがえった大船鉾の姿にふれ、また、祇園祭の歴史や文化の深さについてご堪能いただければ幸いです。


大船鉾山鉾は終わり後は子供神輿・花街の綺麗どころの行列でした。
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何かご利益があるのか?です。頭がっぷりとね。
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花街の綺麗どころです。
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最後でした。
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見学近くにこんな物もありました、パイプから蒸気が出て涼しく感じました。
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   最後までありがとうございます。
















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